この話は、私が盲腸にかかり、そのまま腸閉塞という合併症になり、約1ヶ月間の入院になってしまったときのお話です。はっきり言って、これまで人生30年生きていた中で、ワースト3に入る出来事でした。
腹を2回切るわ、絶食は1ヶ月以上続くわ、体重は8キロ落ちるわ、退院後は、今後一生、食べ物の制限も出てきてしまうわで、僕の人生の岐路になったことは間違いないです。※盲腸になる前は、ふつうに食べたいものを食べていたのに、それができなくなるなんて、嫌だよ~。
さて、どんな経緯でこのようなことになってしまったのか、私のような経験をしたくない方は、「早めの診断に行った方がいいですよ。」という忠告を含めて、ここでお話しておきます。(※前半部分はほとんど愚痴です。)
入院前
ある日、お腹の調子が少しだけ変なことに気づく。
ちょっとお腹の中が熱くて違和感を感じる。ただ、その時の私は、「んまー、そのうち良くなるだろう。」と、約1週間程度、その違和感を無視をして、日常生活を過ごす。また、その間、腹筋をしたり、運動をしたりしてしまっていた。※その間も痛かったけど、運動は習慣だったので、ちょっと無理をしてしまった。
「今は痛いけど、んまー、そのうち良くなるだろう。。。」
本来は、この時点で病院に行っていれば、通常の盲腸の手術&入院で難なく終わっていたと思うと、本当に悔やまれる。
救急車で運ばれ、即入院
ある夜、お腹が急激に痛くなり、「これは、もう寝てられん!」と思い、救急車を呼ぶ。
そして、そのまま、とある太田市にある総合病院に入院へ。(この日から、入院生活が1ヶ月にも及ぶとは思いもしなかった。入院した当初は、2,3日で帰れるだろうと思っていたが、全然甘かった!盲腸なめてた!)
で、血液検査とCT検査で、盲腸(正式名称は、急性虫垂炎)と発覚。
点滴で保護治療をすることになる。※ただ、このとき、盲腸の治療についての知識がなく、先生からの説明も特になく、点滴だけで良くなるのか、不安でした。※いまは、点滴で散らすことが主流のようですね。
でも、この緊急で運ばれた病院が、あんまり良くなかった。
先生の説明はほとんどないし、今、自分がどんな状況でCTや血液検査の結果はどうだったのか、そして、何の処置をしているのかなどの説明も、2日経っても特にない。
そこで、自分で先生に説明をお願いするが、説明も適当な感じで終わってしまった。(しかも、この説明に関する費用も、後日明細書を見るとしっかりと費用をとられていた。なんなんだこの病院は!)
だんだんと病院への不信感と違和感が増す一方だった。ただ、こちらはどうすることもできず、入院して2日目。
痛みがあるのに、「明日、退院していいよ。」とのことだった。(※え、痛みがまだあるのに退院していいの??)
不安に思ったが、そのまま退院。(退院時には、全然痛みが治まっていませんでした。)これでは辛いので、先生にお願いして痛みどめの薬を出してもらい、入院して3日後に退院。
退院したその日のうちに再入院
さて、家に帰ってきてみたものの、お腹は相変わらず痛い。
薬を飲んで寝ていても、痛くて眠れない。夜になって、妻が仕事から帰ってきたころ、
「もうお腹いたい!救急車で運ばれたときより痛い!限界!」
ということで、別の病院に連絡する。
しかし、別の病院からは、これまでの病院の紹介状が必要とのことで、診察を断られてしまう。(病院間のシステムは面倒くさい。)
しかたがなく、元の病院へ連絡し、再入院することになる。ただ、この時点で、絶対別の病院に転院することを決意する。
すぐに転院したかったが、あいにく週末のため、別の病院の受け入れが整わず、結局また2日間、点滴、絶食の入院をする羽目に。。。
※ちなみに、ここの医者に紹介状を依頼するも、紹介状は1行程度の説明で、紹介状の意図を成していない。マジでウン◯な医者でした。でも、この医師にオペをされなくて本当に良かった。
インフォームド・コンセント(説明と同意)がまったくなっていない病院。もうこのとある太田市の総合病院には一生行きません!(病院名は伏せておきます。)
転院
で、月曜日の朝に、別の病院(太田記念病院)へ転院。
この病院は、前の病院とは違い、しっかりと説明してくれて、安心感がありました。施設も綺麗で看護師さんも良い人ばかりでした。
虫垂炎の手術
レントゲンとCT検査で、すぐに手術が必要とのことで、手術になりました。※この時点では、虫垂が腫れ、その他の腸内にも炎症が多くあり、開腹手術になってしまいました。
人生初めての手術ということもあり、かなり不安。でも、お腹を直すには手術しかないとのことで、実施。最初は、下半身のみの麻酔でしたが、途中で全身麻酔に切り替え、手術。結局5時間程の手術になりました。
術後(虫垂炎)
ベッドの上で目覚めると、お腹に激痛が走る。「痛いし、足が動かない。」足の下には、ドンドンと一定に足の裏を叩く機械が装着されている。これで、足の血栓を防ぐらしい。
痛いけど、手術も終わったし、後は良くなるだけ。と思っていたが、それも甘かった。ここからが本当に長い入院生活に入ることになった。
腸閉塞(イレウス)へ
「術後はよく歩いた方がいいですよ。」と看護師さんに言われて歩くが、手術後のお腹がいたくてうまく歩けない。手術後は、腸の癒着を防ぐために歩いた方がいい。そこで、僕も頑張って結構あるいた。しかし、病状はよくならない。
最初は、痛くて良く分からなかったが、お腹が腫れてきて、吐き気が出るようになってきた。これは、おならやうんちが出ない期間が続いたため、どんどんとお腹の中に溜まっていってしまったためだ。
もっと言うと、腸に癒着が起こってしまい、うまく排出でいない状況になってしまっていたのである。
「これは鼻からチューブ入れるしかないね。」
・・・何と恐ろしいことを。
※この言葉を先生から聞いたときは、かなりショックだった。
で、結局、腸閉塞になってしまったために、イレウス管という長細い管を鼻から腸まで入れることに。(最終的には、190cmものチューブが僕の身体の中に入った。)
これが、最悪。
マジで最悪の体験となる。
鼻から結構太い管を入れるんだけど、とにかく、痛いし気持ちわるいし、辛かった。管が完全に入った後も、吐き気と気持ち悪さが1日以上は続いた。
イレウス管でも治らない腸閉塞
「イレウス管を入れれば、9割の人が良くなるから。」
と先生に言われたが、残念ながら、どうやら僕は、残り1割に該当したようだ。
辛い辛いイレウス管を入れたのに、腸が通らないのだ。
何度もレントゲンやCTで造影剤を利用した検査をしたが、なかなか通らない。
もう、これはダメだ。ということで、結局手術になった。
※このとき、「なんで俺がこんなことに」と、マジで精神が不安定になった。
再手術(腸閉塞)
鼻から通した管のせいで、喉の痛みが限界にもなっていたため、
「もう、手術でもなんでもいいから、どうにかして。」
と少し投げやりになったが、手術を実施することに。
今回の手術は最初から全身麻酔で、麻酔を打たれて起きたら手術が終わっていた。手術内容は、腸に穴をあけ、バイパスを通すというしろもの。※このときの手術は3時間程度。腸の癒着がひどかったため、癒着を剥がすことよりもバイパス手術に切り替えたと聞いた。
手術後、僕の大嫌いだったイレウス管が取り外されていた。
そして、お腹には、虫垂炎のときよりも大きな傷が腹に刻まれていた。
「痛い!」
とにかく、「痛い!」
でも、癒着を酷くさせないために、手術の次の日から歩く必要がある。
腸閉塞のときとは違うのは、ちん◯のところにも管が通っている。
これも違和感がハンパなく嫌だ。
“もうこんな経験は2度としたくない!”と、腹の痛みを我慢して歩いた。
よく歩いた。
そして、これが“よくなかった”。
頑張り過ぎのせいか、腹に巻いていた腹帯が真っ赤になってしまった。
傷が開いてしまったのだ。
真っ赤な血に染まった腹帯を見て、慌ててナースコールをして、先生を読んでもらった。先生が来てくれて、ベッドの上で、麻酔をしてもらい傷を縫ってもらった。
とほほ。。。
なかなかおならがでない日々
病院内をよく歩いていたが、5日間くらい経っても、なかなかおならや便がでない。
しかも、またお腹が張ってきて、吐き気もし始めてきてしまった。
これでは、
「また、あの辛いイレウス管を入れる羽目になるのか。」
「しかも、今回もイレウス管でも治らなければ、また手術?エンドレスじゃないか。」
と、本当に精神的に追い詰められる。
「次のレントゲンで良くなくなっていなければ、またイレウス管をいれましょう。」
と、先生に言われ、さすがに、もう一度イレウス管を入れる覚悟を決め始めた。
快方へ
ただ、幸いなことに、レントゲンの結果、本当に微妙によくなっているから、「イレウス管はもうちょっと様子を見てからにしよう。」と言われ、少しホッとする。
そして、その日の内に、排便とガスがでた。
「良かったーーーーーーーーー!」
これでイレウス管は無くなったと安堵した。
そして、ガスが出た日を境に、だんだんと病状が良くなってきた。
「こんなにも、おならの意味ってすごいのか。」と、ただただ関心した。
食事の再開(重湯)
レントゲンの結果もだんだんとよくなってきて、食事が再開された。
といっても、最初は重湯とスープの汁物だけ。
でも、最初はこれでも本当に嬉しかった。
何しろ何も食べない絶食期間が1ヶ月程。それまでは食事の時間は、僕にはまったく関係がなく、他の患者さんに食事が運ばれているのをうらやましそうに見ているだけだった。
だから、食事が再開されたことは本当に嬉しいこと。
やはり人間、三大欲求の1つでも欠けると精神的に辛くなってくる。
そのことが今回の入院で良く分かりました。
食事が三分粥へ
食事も次のステップへ。
ご飯が三分粥でおかずも出るようになった。スープだけの食事と何かを自分の口で咀嚼できる食事とでは雲泥の差。食事が出たときも嬉しかったけど、噛むことができる食事もより嬉しかった。このときから、食事の時間が待ち遠しくなる。
食事が五分粥、点滴を取り外す
自分でもどんどんと身体の具合が良くなってくることがわかるこのころ。
食事も五分粥にバージョンUPへ。素直に嬉しい。
そして、もっと嬉しいことに、このころに点滴が外される。1ヶ月以上に渡って自分の腕に刺さっていた針が取り外されることの嬉しさと開放感を味わう。
「よし、退院までもう少しだ。早く退院したいな。」
全粥、そして退院へ
食事も全粥からふつうのお米になって、ついに退院の目途が立つ。
「今週中には退院できるよ。」
と医師に言われたときの嬉しさ。
超超嬉しかった。
「ようやく自由になれる!」
「やっと退院できる!」
「ひゃっほ~!」
もう気分は最高です。
そして、2014年11月28日金曜日、私の長~い入院生活が終わった。
※太田記念病院のみなさん、どうも長い間お世話になりました!!!
~最後に~
この1ヶ月以上の入院生活で、人生初めての経験をいろいろとしました。もちろん手術は初めてだったし、腸閉塞という爆弾ももらいました。(腸閉塞に完治はありません。何度も経験する人も少なくないとのこと。)
今後一生、食べ物に注意をして、腸閉塞にビクビクしながら生きないといけないのは、正直辛いですが、これも私の人生。精一杯、明るく生きていきます。
また、最後に入院中にいろいろと心配してお見舞いに来てくれた妻の父母、義理兄、友人に非常に感謝しています。
そして、電車の乗り方もままならないのに、わざわざ遠くまで来てくれた親父と母にも感謝。遠くから心配して連絡をくれたねぇちゃんと兄ちゃんにも感謝。
そして、毎日働いた後にかならず病院に寄ってくれた妻にも大感謝。
ありがとう。
これから仕事がんばります。
この病気を患って改めて思ったことは、
マジで、『健康第一』
お金がいくらあっても、時間がいくらあっても、身体が健康じゃなきゃ全く意味がありません。
でも、まー、なんだかんだで、良い経験したわ(笑)
皆さまも、お身体にはくれぐれも注意してお過ごしください。
最後まで読んでくれてありがとう。
追伸:長い入院生活が終わり半年経った後
当ブログを読んでいただきまして、誠にありがとうございます。このブログが、少しでもあなたのお役に立てれば嬉しいです。また、もし少しでも共感することがありましたら、また読んでいただければ幸いです。私も、読んでくれる方が多くなると、ブログを更新するモチベーションにも繋がりますm(__)m
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はじめまして。
私も過去5回腸閉塞を患い、こちらのブログを読ませて頂いた40代主婦です。(読み逃げしてしまって申し訳ありませんでした。)
川口様も本当に大変な思いをされたのですね((+_+))
「腸閉塞」というとやはり癌や心筋梗塞、脳梗塞などに比べてそんなに大病だという認識がされにくいのが悲しいですよね?
しかし、あの腹部の差し込まれるような痛みと異常な張り…。この世のものとは思えませんよね!?
私は5回のうち3回イレウス管を入れられましたが、もう全身脂汗でびっしょりになりました(泣)抜くときはあっ気ないのに、入れるときの苦しさは言い表せません!まさに経験された方にしかわかってもらえないのが辛いです。
入院中禁飲食の札が自身のベッドにぶら下げられていた時、同じ部屋の患者さんが当然お食事なのがとても切なかったですね。手帳に退院したらこれ食べる!!と片っ端から行きたいレストランと、食べたいメニューを書きだしたりしてました。
(川口様の最初に入院されたという、大田の某総合病院の対応ですが、かなりいい加減だと感じました。痛みがある状態で退院はかなり危険だと素人の私でも思うのですが、そのドクターまさか専門外ですかね?患者にはいい迷惑ですね。)
私は退院後は食事療法を行って再発をなんとか未然に防ぐようにしております。
川口様もどうかお大事になさって下さい。
突然のコメント失礼いたしました。